恋の罪

恋の罪』について、少し考えたこと。

恋の罪』ってタイトル。「恋」って、なに?うまく言えないが、恋というイメージは映画にない。
なのに「恋」って?

観てしばらくしてから気づいたこと。
「恋」の一つは美津子が父親に恋をしたこと。もちろん父親への「恋」は赦されず、それは「罪」につながる。その罪ゆえに求めても決して辿り着けない「城」の周りを回り続ける地獄に堕ちる。
売春は法律的には罪ではあるが、それは「恋」の「罪」としては外れるか。

夫を求めるいずみの「恋」。では、いずみの「罪」は?イブが蛇に唆され林檎をかじってしまった原罪のようなもの。美津子によって「本物の言葉には体がある」ということを教えられ、知らなければ堕ちることのなかった地獄へ墜ちてしまう。

違和感のあるもの。
「愛がなければ金を取れ」
劇中、「セックスに金を介在させることで立ち位置がはっきりしてくる」といういずみの言葉に納得。
上の言葉だけ聞くと性に対するステレオタイプな印象しかないが、これが言葉が体を持つということか、下の言葉に実感が湧く。

美津子を殺すまでは分かるが、マネキンとの接合というのが分からない。猟奇性を持たせるのはインパクトをつけ客を呼ぶ商業的意味合いから?

セックス描写や女性にとっての性というところが注目されているが、それらの表現は全て言葉に体を持たせるための実践の過程を表しているものと解釈する。

わたしにとってこの作品は「言葉」がメインテーマであり、それゆえ終盤でいずみが口ずさむ田村隆一の『帰途』が強烈に胸に突き刺さった。